2011年12月11日日曜日
紀尾井坂
地下鉄半蔵門駅を降り、麹町一丁目の交差点まで出る.ここから新宿通を東へ行けば200m程で皇居半蔵門である.今日は新宿通を西へ行くので交差点にあるラーメン店でラーメンを食べ、新宿通りを歩く.間もなく、クッキーで有名な泉屋のビルが見えてくる.クッキーのあの青いカンのような色のビルである.その先には老和菓子屋も..この辺り、どういう訳かお菓子系が多い.お菓子だけでなくカップなんかも売っていた小さな店でピーナッツを買った.
有楽町線の麹町駅近くで路地へ入るとちょっと賑わった通りになる.コーヒーショップの最近の有名店が揃って店を出している.お客が多いのだろう.FM東京通りとか言うようだ.清水谷坂を下り左に入ると清水谷公園がある.公園の前はオーバカナル紀尾井町があり、テラスにでてお茶などを楽しんでいる.その右側にはタルト教室で有名な45°CENT QUATRE VINGTS(サンキャトルヴァンと読むらしい)があり、丁度始まったタルト造りの教室を横に見ながら、大変においしいタルトとコ-ヒーを楽しんだ.自由に読める置いてある本を読んだりして一時を過ごす.その辺りを過ぎて更に南に行った先は外堀になり、弁慶橋を渡ると赤坂見附、あるいは戻って左に上がると紀尾井坂でそのまま上智大学の前の外堀土手を歩けばイグナチオ教会の先に四ッ谷駅.途中の土手からは丸の内線が地下から地上に出るところを見ることができる.
2011年12月3日土曜日
消える昔の建物
子供の頃都電でよく行った日本橋にあった和紙専門店"はいばら(榛原)"は、ビルに書かれた"はいばら"の文字が記憶に長い."ば"”が崩し字で"む"のように見え、”はいむら”と間違って覚えていたからだ.ビルは6階建てくらいで濃い茶色のビルだったはずだ.東急百貨店の永代通り向かい側にあって長いこと見ていなかった.最近になって、そのビルを撮影するつもりで行ってみた.付近をを見てみると、一帯は白い塗装鉄板で覆われビルは跡形も無くなっていた.一帯のいくつかのビルを壊し大きなビルでも建てるのであろう.今はその区画の隣のビルで間借りをして営業しているようだった.わずか遅かったようだった.新宿の厚生年金会館、銀座の尾張町ビルなども行ったときにはビルは消えていた.厚生年金会館はすでに2010年3月末を持って閉館されていたことを後で調べて知った.
東京駅丸ノ内口前もその敷地の形こそ変わっていないが、丸ビルなど、だたっ広く頑丈そうで何か落ち着きのあるビルは消え、華奢な忙しげな高層ビルに変わってしまった.昔見たことののある古い建物は早く見納めをしておくべきだろう.しかし可能ならできるだけ残して欲しいものである.
2011年12月1日木曜日
春日通り
はじめて来た押上駅を地上に出ると、開業間近いスカイツリーを見上げる人達が写真を撮っている.押上駅から四ツ目通りを京成橋を渡り南に行くと、横川交番前に出る。交差する春日通りを東に少し行くと、春日通りの東端、横十間川にかかる栗原橋である。橋の名前はかつてこの辺りにあった紡績会社の名前だそうである.橋の手前は江東区横川、渡った先は江東区亀戸で、川に沿って200m程南に行くと学問成就の天神様として有名な亀戸天神に裏手から入ることになる。若い頃来たことがあるが、亀戸駅から来て正面から太鼓橋を渡った記憶がある.この日は、七五三で正装した親子で混雑していた.菊の花の展示も行われていた.
栗原橋に戻り、右手にスカイツリーを見ながら、春日通りを西に行くとJTの大きなビルの先に横川橋が見えてくる。橋の下には、かつて大横川が流れていたが、今は埋め立てられ親水公園になっている。そこをすぎると住所は本所となり、通りには昭和を感じるような古い佇まいの商店や住宅がまだ残っている。栗原橋からまっすぐに来た通りは2km程で少しカーブして、隅田川を渡る.橋の中でも3つのアーチの美しい厩橋である。隅田川には平たい形をした大型の観光船が行き交っており、上流にスカイツリーとビール会社の金色のビルとモニュメントが望める。今回歩いたのは、文京区役所に近い富坂下まででそこまでには蔵前、御徒町、上野広小路、湯島、本郷、春日など古くからの街が多い.春日通りは富坂下から更に小石川、茗荷谷、大塚、を通り池袋六叉陸橋まで続く.
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